ヤマウチ製菓社長 岡田 和義 (おかだ かずよし) さん

2004.07.04
たんばのひと

故郷の産物で新事業
ヤマウチ製菓社長 岡田 和義 (おかだ かずよし) さん (池田市在住)
 
 1941年 (昭和16年) 大路村 (現春日町) 生まれ。 柏原高卒。 日本ダンロップを経て63年、 山内商店に入り、 67年、 ヤマウチ製菓として株式会社化されると共に専務に。 96年より現職。
 
 大企業の工場勤務を 「サラリーマンは性に合わない」 と3年でやめ、 同郷の先輩のつてで大阪市内の菓子卸店へ。 ピーナツや豆菓子の製造を手がけ、 「1990年ごろまでは黙っていても売り上げが伸びたが、 それ以後はぴたっと頭打ちに」。
 製造の外注化、 自社配送、 中国での現地生産を進め、 ビール会社の販促用など新販路を開拓して、 赤字続きだったのを数年前から黒字に立て直した。 銀行からも 「Aランク」 の経営評価を受ける。
  「しかし生産過剰という業界全体の構造的な問題がある以上、 5年先は安泰でない」。 そこで考えたのが、 ふるさと丹波と都会の消費地をつなぐ新事業。 「1円起業」 の制度を活用して今年初め、 春日町に本社を置く株式会社 「丹波ふるさと村」 を設立した。 息子の寧 (やすし) さんが社長を務める。
 新会社は、 丹波の農家が作った野菜で、 サイズが不ぞろいなど既存の流通ルートには向かないものを、 大阪近辺の中小スーパーなどに持ち込む。 業務を始めてまだ1カ月ばかりだが、 「産地直送でお客さんからは鮮度が非常に良いと評判。 農家の実入りも良くなり喜ばれている」 という。 春日インターに開設予定の 「道の駅」 の会社にも出資。 アンテナショップとして、 新開発した加工食品などを並べる計画だ。
 還暦を過ぎた2年前、 脳梗塞で入院。 幸い軽くてすんだが、 煙草をぷっつりやめた。 「これをきっかけに、 お世話になったふるさとのためにもう一働きしたいと決心した。 地元への還元ができれば」 と話す。
 大のふるさと思いで、 大阪氷上郡友会の熱心なメンバー。 「子供のころはジャコ取りの名人で、 『お前が入った後の川は全部なくなっとる』 と言われた。 高校時代、 黒井駅まで霧の中を10キロ以上自転車で通ったのも思い出」 と懐かしがる。

(外野英吉)

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