「歌う夢」 持ち続ける
合唱団主宰 小泉 明子 (こいずみ あきこ) さん (東京都調布市在住)
1936年〈昭和11年〉京都市生まれ。 中国から終戦直前に引き揚げ、 父の故郷の篠山市 (旧草山村) へ。 篠山鳳鳴高、 お茶の水女子大学音楽科卒。 新宿区立中学で教鞭をとり、 結婚後退職。
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結婚を機に家庭に入り、 育児と親の介護に専念したが、 その間ずっと 「好きな音楽を続けたい」 と、 「家事の合間にピアノ伴奏をしたり合唱団の指導に少しずつでも関わり、 チャンスがあればいつかまた」 と思い続けた。
「その時」 が、 子育てを終えご主人の両親を見送った後、 ようやく訪れた。 「サード (第3の) ライフですね。 一生懸命歌ってくれる仲間たちに感謝しています」 と、 イキイキと充実感に溢れた表情。
アマチュアばかりの混声合唱団 「クール・ドゥ・シャンブル」 を10年前に結成し、 6年前に初めて演奏会を開いた。 以来定期演奏会を4回。 曲の時代を15世紀から18世紀に限り、 中でもバッハやモーツアルトの宗教曲を愛唱する。
伴奏を、 日本の古楽界でのトップクラスの古楽器奏者によるオーケストラに依頼。 「クラシック音楽の頂点とも言うべき時期ですから、 全て当時使われていたと考えられる楽器を使い、 当時の音を再現しているんです」。
今春、 都内府中市のホールでバッハの難曲 「ロ短調ミサ曲」 を演奏し、 聴衆をうならせた。 「本番というゴールを目指す集中と緊張。 団員と分かち合う達成感が何とも言えないですね。 ただバッハを、 モーツァルトを歌いたいというだけで、 楽譜も読めなかった人が、 練習を続けると立派に歌えるようになります」。
父親の仕事の関係で育った中国・南京で幼い頃からピアノを習い、 疎開した篠山でも。 「高校の音楽担当の波部先生や内山茂子先生にお世話になりました」。 どこか土地に馴染めないところがあったものの、 「やはり一番多感なころですから。 心のふるさとになっているのは確かですね」。 最近は同窓会などで丹波へ向かう機会も多くなった。
(上 高子)