ふるさと文化賞受賞の刀研ぎ師 近藤与曽次(こんどう・よそじ)さん

2007.02.04
たんばのひと

 地域社会で伝統文化を守り続ける人に贈られる県の 「ふるさと文化賞」 を受賞した。 県内でも数少ない日本刀の研ぎ師で、 八十二歳の今も現役で刀と向かい合っている。

 「今まで好きでやってきたことが認められてうれしい。 物心ついたころから日本刀が好きで、 所蔵している近所の旧家に見せてもらいに行き、 家の人から小さい刀をもらうこともありました。 尋常高等小学校を卒業後、 雑誌を読んでいると東京の刀研ぎ師が弟子を募集している記事を目にし、 決心して手紙を出しました。 『両親が承諾すれば迎えに行く』 という返事がきましたが、 両親は猛反対。 そこでふてくされて食事以外は寝るだけ、 という生活を送っていたところ、 ついに両親も許してくれました。 その時はとにかくうれしく、 修行に対する不安も感じませんでした」
  「東京での五年間の修行のあと、 地元で研ぎ師として働きはじめました。 しかし終戦直後、 進駐軍の指示で日本刀が没収されるようになり、 仕事は激減。 約十年間は研ぎ以外の仕事をしていました。 その後、 登録すれば日本刀の所持が認められるようになり、 それに合わせて仕事を再開。 そんな時、 福知山市の方にある刀を見せてもらいました。 姿形、 焼き刃の入れ具合などうらやましく思うほど立派な刀で、 自分もここまでできるようにならないと、 と思い悩んだ末、 再び修行を決意。 親方に相談して、 岐阜県関市の研ぎ師の方を紹介してもらい、 一人前の職人にならないと、 という思いで妻を説得。 三十七歳のときに妻と三歳の長女を連れて一年半、 関市で納得のいくまで修行の日々をおくりました」
  「刀を研ぐ時は、 自分の納得のいくところまで研いでお渡しするようにしています。 研いで喜んでもらえるのもうれしいですが、 自分の仕事が残る、 ということもうれしい。 研ぎ師が減っていることは寂しいですが、 好きでないと続けられない。 これからも一本でも多く研がせてもらい、 刀が残っていけばいうことはないです」

 温和な表情と語り口だが、 刀を研ぐ姿は真剣そのもの。 丹波市春日町棚原。(西澤健太郎)

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