貧しい家に生まれ、9歳で寺に入った作家の水上勉氏が、

2007.02.03
丹波春秋

貧しい家に生まれ、9歳で寺に入った作家の水上勉氏が、「丹波から来ている小僧」から聞いた話として「なんでも篠山や柏原あたりの風習で、番太郎墓というのがあったそうだ」と書いている。▼それによると、ある一軒の家のことを「バンタ」と呼び、その家に死人があると、一般の墓地には入れてもらえず、湿地の粗末なところにある番太郎墓に埋められた。「番太郎というのは、丹波あたりでは底辺労働者のことをいい、…日雇人夫で暮らしたそうだ」。▼以上は、「『釈迦内柩唄(しゃかないひつぎうた)』をなぜ書いたか」という随筆にある。釈迦内柩唄は水上氏が脚本を書いた演劇で、死体焼き場の仕事をしている父親とその娘を軸に物語が進行する。▼父親には口癖があった。生まれた場所や職業で人は差別されるが、死んでしまえば同じ仏になる。「人はみな平等」と娘に語った。また、火葬した灰はコスモス畑にまかれ、死んだ人はそれぞれにコスモスとなって咲く、とも話した。▼釈迦内柩唄が11月8日、丹波の森公苑で上演される。主催者によると、前売り券の売れ行きはよく、満席の見込みという。人は死んでからだけでなく、生きている間も心に美しい花を咲かせると思う。この日、舞台からどんな灰が客席にまかれ、どんな花がお客の心に咲くだろうか。(Y)

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