旅立ちの春だ。高校を卒業した18歳の若者たちも旅立っていく。ふるさと丹波を後にし、都市部へ出て行く者も多くいよう。そんな若者の姿に、遠い昔の我が身を思い起こす。大学進学でふるさとを離れることに寂しさはみじんも感じず、ひたすら浮き立っていた。▼室生犀星の詩、「ふるさとは遠くにありて思うもの」に共鳴していた。ふるさととは、犀生の言うように「帰るところにあるまじや」であり、心の中で思うべき幻影だった。▼よしんばふるさとに帰ることになっても、遠い未来の話だった。唱歌「故郷」にも、「こころざしをはたして いつの日にか帰らん」とある。その「いつの日」とはいつなのか、想像の及ばないところだったが、大学卒業後、あっけなくも帰郷した。▼自分が敗残者に成り下がったようなみじめさがなかったわけではない。しかし、あれから数十年たち、帰郷を選択したのは間違いでなかったと言えるようになった。若いころには見向きもしなかったふるさとの山川草木が目にしみるようになったからだ。年齢を重ね、心の動きが力を失った分、細やかになったせいに違いない。▼「ふるさとの山に向ひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」(木)。今はこの歌が理解できず、ふるさとを出る18歳も、共感できる日がいつか来るだろう。 (Y)