上田三四二と徒然草

2007.04.24
丹波春秋

 旧制柏原中学校の卒業生に、医師で歌人で作家でもある上田三四二氏がいる。氏のエッセイ「誕生日」によると、篠山出身の河合隼雄氏と2人、テレビ番組で死について語り合ったことがあるという。▼この対談で上田氏が語った内容は、「死をいつも前面に立てて生きることの緊張が自分の人生を励まし、無常を無常として受け入れながら、無常をわがうちにおいて克服することが、これからの自分の課題」というものだった。▼このような死生観を抱くようになったのは、大病がきっかけだった。20代後半に結核で入院、40代半ばに結腸癌を病んだ上田氏。「閑日(かんじつ)をあらしめたまへ一日を両日として生かしめたまへ」という歌にあるように、迫り来る死をまっすぐに見つめ続けた。▼そんな上田氏の心を領したのが「徒然草」だ。大病という「この世の果てをうかがうような事柄」に出会って、徒然草が氏の心をとらえたらしいが、中学時代は「おもしろくなく、近づきがたいもの」としか思っていなかったという。▼旧制柏原中の第1回卒業式で、大江礒吉校長は「吾人の徳性修養は終生一日も廃弛(はいし)すべきにあらず」と告辞を述べ、『卒業後も研さんに励め』と説いた。この点、上田氏は模範中の模範と言える。そんな氏の母校が創立110周年を迎える。  (Y)

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