明治鍼灸大学看護学部教授 小山敦代さん

2007.06.25
たんばのひと

生老病死と向き合う
(こやま あつよ)京都市在住

 1943年 (昭和18年) 丹波市氷上町井中生まれ。 柏原高、 国立舞鶴病院附属高等看護学院、 佛教大卒、 弘前大学大学院修了。 関西の国立病院の看護学校などで教え、 青森県立保健大学教授を経て現職。 看護学に関する著書・論文多数。 熊野古道研究の第一人者、 小山靖憲氏 (故人) の妹。

 看護の現場に身を置き、 看護教育に携わって計40余年。 今年4月に青森から南丹市の明治鍼灸大学看護学部教授として戻ってきた。 「看護には、人間愛、知識の裏付けと研究的態度、 社会人としての生活能力などが求められます。 人としての器が必要なんです」 と説く。
  「看護師は患者さんに育てられる」。 そう考える相応の体験がある。 その一人が、 振り出しの国立舞鶴病院で出会った末期がんの78歳男性。 大晦日の日、 病室に食事を持っていき、 「いいお正月を迎えられたらいいですね」 と声をかけた。 男性は小山さんをじろりとにらみ、 食事を投げ飛ばした。
 このあとに持っていった年越しそばも、 顔に投げつけられた。 途方に暮れたが、 年越しイワシを持っていくと、 様子が変わった。 ぐっとつかんで、 「ばあさんや、 ばあさんや」 と、 むせび泣きながらイワシをほおばった。 妻を亡くし、 一人暮らしだった男性。 妻が健在だったころ、 イワシを食べて除夜の鐘を聞いたものだと話してくれた。
 正月を前に外泊の患者も多く、 がらんとした病院。 男性は寂しさをかこっていた。 小山さんが元気づけようとしたのが、 癇にさわったらしい。 その後、 男性の態度は穏やかになり、 二人で除夜の鐘を聞いた。 数日後、 静かに息を引き取った。 「良き時代の回顧は、 人の心を平安にしてくれることなどを学びました。 亡くなる人は、 命をかけて私たちに教えてくれるんです」 と言う。
  「看護師になると、 20歳そこそこで生老病死の喜び、 苦しみ、 悲しみすべてを含む人生の重みにぶつかります。 最初は自分の力不足を痛感するでしょうが、 自分で乗り越えなくては成長できません」。 今年10月、 母校の柏原高校で生徒たちに看護の話をする。 故郷から良き看護師が育つことを願っている。 (荻野祐一)

関連記事