故・瀬戸亀男前篠山市長の追悼記事(本紙6日号)で、「大地を愛した人」という談話にうなずいた。▼いつだったか、春日能を観に行った際、主催者あいさつに立った瀬戸さんが「若い頃、このすぐ向こうにある私の田んぼで作業をしながら、ここから流れて来る謡いや鼓の音が、天上のもののように聞こえた」と話したのを、今も鮮明に覚えている。▼弁舌の淀みなさにかけて、丹波地域でこの人の右に出る人はいなかったとは、誰しもが認めるだろう。青年団の弁論部で鍛えたそうだが、美辞麗句を並べるのではなく、当意即妙、かつ心に響く話しぶりだった。「市長、今の良かったですねえ」と褒めると、照れくさそうにニヤッと笑った。▼最後に会ったのは、辞任から間もない3月ごろ。大阪行きの際、篠山口駅のプラットホームでばったり出くわし、「あれ、入院していなかったんですか」と聞くと、「いやぁ、とりあえず点滴だけでええ、言われて西宮の兵庫医大に通院しとるんや。それでも、毎日往復と合わせて4、5時間かかるんで、公務を続けるのは迷惑かけるからねぇ」と、ややきまりが悪そうな顔だった。▼病院問題、財政のこと、入札のことなど、遠慮なくうかがいながら尼崎まで同席したが、それがついの別れになるとは、つゆ思っていなかった。ご冥福をお祈りします。(E)