「ナショナル」が松下電器の社名もろとも「パナソニック」に統一される。社長は「ノスタルジーに浸らずに」と話したが、でもやはり、昭和前半生まれは感傷的になる。▼小学校に入った昭和25年頃、家にある電化製品と言えば、ラジオとアイロンくらいだった。電灯はしょっちゅう切れる白熱電球。初めて蛍光灯がともった時、まるで別世界になったように感じた。▼高学年になって、洗濯機や炊飯器が現れた。そしてテレビ。町じゅうの大人、子供が電器屋の店先に群がった。力道山、栃若、長嶋…。時折、ざあざあと雨の吹き流しのようになる画面を、皆一心に見つめた。▼「明るいナショナル…ラジオ、テレビ、何でもナショナル」。CMに乗って冷蔵庫、エアコンがゆき渡るまで、いく時もかからなかった。大量消費、大量生産、右肩上がりの経済成長が昭和の末まで続き、今や1部屋ごとに音響機器、パソコンほか様々な電気製品があふれかえる。▼その果てに、内外の強力メーカー入り乱れての競争となり、世界の津々浦々、山間僻地にまで入り込まなければならなくなった。何よりも若者の心を捉えたい「パナソニック」社にとって、決断は正しいのだろう。ずっと前から「国際競争」を見通していた経営の神様も、自分の名が消されることに、複雑な顔でうなずいたのでは。 (E)