昭和20年3月27日、筆者は満1歳の誕生日を迎えた。丹波の田舎にもB29が飛来。母は毎夜、下痢の続く筆者を抱えて防空壕に逃げ込んでいた。その頃、丹波新聞は休刊中だが、「昭和史全記録」(毎日新聞社)から、戦争末期の様子がよく分かる。▼小磯首相が「1億火の玉となって敵にぶつかれ」と檄を飛ばして間もなく26日、米軍が沖縄に上陸、住民が集団自決した。「特攻作戦で迎撃する」と天皇に奏上した軍令部総長は、「海軍にもう艦はないのか。海上部隊はいないのか」と問われ、すごすごと引き下がる。▼軍艦どころか航空燃料にも事欠き、「樟脳原料の樟樹の木片を煮詰めて作る方法を、陸軍の研究所が開発した」と、得意げな朝日新聞。4月7日には虎の子の戦艦大和も沖縄に着く前に沈められ、3月10日の東京大空襲以後、全国の都市が軒並み。▼どさくさに乗じるあきれた奴はいつもいて、跡片付けのふりをして他家の防空壕を掘り返し、貴重品を盗む者。被災者を装い長野まで疎開列車に無賃乗車、リンゴを買い付けて来てちゃっかり商売する者も。▼敗戦まで4カ月余り。「あともう少しだったのに」と、ほぞを噛んだ遺族は数限りなかったことだろう。ひどい下痢だった筆者は幸いにも乗り切った。これらのことを、平成20年3月の先日、満2歳になった孫に伝えていこう。(E)