独企業で日本式経営
(おさだ・みきお)千葉市在住
1944年 (昭和19年) 丹波市柏原町生まれ。 柏原高、 大阪市立大経済学部卒。 大阪でしばらく勤務の後、 26歳で上京し、 龍角散に入社。 系列の 「ヤトロン」 を経てエッペンドルフ。 06年まで代表取締役副社長。
エッペンドルフは、 生命科学の分野で使用される理化学機器を作り、 大学や企業の研究機関に販売するドイツ系企業。 主力商品の 「マイクロピペット」 と 「微量遠心機」 は世界のトップブランド。 iPS細胞 (人工多能性幹細胞) で話題の京大・山中伸弥教授の研究室でも使われている。
風邪薬で有名な 「龍角散」 に就職。 系列の臨床検査試薬の会社でエッペンドルフに関わり、 日独合弁企業の経営に参加。 その会社が8年前、 ドイツ本社の100パーセント子会社として独立することになった時は 「何でいまさら外資の下で」 と思ったが、 旧部下全員を引き取ることなどを条件に移籍を決め、 副社長として可能な限り日本式経営を押し通してきた。 「意見の衝突はしばしばですが、 若いドイツ人社長とは合弁以来いい関係です」。
国公立大学なら行かせてやれる、 駄目なら家業の畳屋を継げばいいと親父に言われ入った大学は当時左翼系が多く、 後に 「よど号」 を乗っ取って北朝鮮に渡った者もデモの仲間にいたが、 自身は 「日本に革命は無理だろう」 と醒めていた。
卒業時は就職難の時代で、 入った会社が半年で倒産、 その後さまざまな体験をして今がある。 ずっと大切にしてきたことは、 丹波人の 「真面目さ」 と仲間内の 「濃い人間関係」。 短期に営業利益を求め、 格差を生み出すような、 米国型新自由主義経済には、 「けしからん」 という思い。 「僕の功績は社内に 『さん付で呼び合う習慣』 を定着させたこと」。
そろそろ引退を考え始めて気づいた。 これまでは会社一辺倒だったが、 「これからは、 かみさんとの関係が大きくなるなあ」。 本当は家でゴロゴロして読書やテレビで過ごしたいが、 「かみさんに嫌がられそうでね」 と、 苦笑い。 (上 高子)