丹波新聞7000号

2010.04.22
丹波春秋

 丹波新聞は本日、第7000号を数えた。大手の日刊紙では3万、4万も珍しくないが、週2回刊の小紙は1年で100号、86年かかってようやっと7000号。ただ長ければいいわけではないが、ともあれ「ここまでよう来たな」と実感する。▼1924年に政党地方支部の機関紙として出発した小紙の前身「丹陽新聞」は、数年で経営難に。それを買収して改題、一般紙として再スタートさせた小田嘉市郎の回想によると、当時の有料読者はわずか5、6百で、「独自に始めた方がよほどやり易かった」。▼メディアは情報の送り手だけでは存在し得ず、受け手があって初めて成立する。小紙が自慢出来るとすれば、丹波にはこういう豆新聞に目を向けて下さる人がいる、地域がそういう力を持っているということだ。▼今回、特集号に寄せて多くの読者から傾聴すべきアドバイスを頂いた。解説の充実、自由な発想の紙面作り、カラー化、IT化…。課題は多いが、何と言っても基本は、小橋昭彦氏が指摘されるように「情報を伝えるだけでなく、住民がつながる地域を作っていく。そのためのネットワークの核になる」ことだろう。▼繰り返すが、丹波地域はそういうネットワークを築く力を持っている。それを忘れない限り、小紙は8000号、1万号まで続くと確信する。(E)

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