過日の記者ノートにもあったが、美しく咲いた花の写真を載せながら、肝心の場所はぼかして記事にすることがしばしばある。心苦しいのだが、盗掘が心配されるときは、そうせざるを得ない。人が世話をしていることが明らかでも、平然と失敬する花盗人がいるのが今の世だからだ。▼でも、「世に盗人の種は尽きまじ」で、花盗人は昔からいた。たとえば、『枕草子』に登場する花盗人だ。萩やススキなどを植えて眺めているところに、鋤(すき)などを持った男たちが来て、掘り取って立ち去ったというのだから、ふてぶてしい。▼平安時代は、他人の屋敷に入り込み、そこの家人が眺め楽しんでいる樹木さえ、掘り取ってしまうことがあったようだ。花盗人は罪にはならないという常識がまかり通っていたという。▼今も花盗人が横行するのは、そうした常識が文化として定着したためだろうか。そう思うと、花盗人の根は深いし、嘆かわしい。▼「盗人に取り残されし窓の月」。貧しい良寛の庵に泥棒が入り、良寛がそこで寝ているにもかかわらず布団を盗んでいった。泥棒が去ったあと、良寛はこの句を作った。月夜の美しさを楽しめない泥棒をあわれんだのだ。泥棒は風流を解せない者だとすれば、花盗人は、花の本当の美しさを解する者なのか。そんな疑問がわく。 (Y)