大路屋社長 細見義治さん

2011.01.16
たんばのひと

韓国で寿司店を展開
(ほそみ よしはる)神戸市在住

 1936年(昭和11)丹波市春日町生まれ。 大路中卒。 神戸で鮮魚店を営み、 韓国で寿司店を展開。

 中学校を卒業後、 職業を転々、 韓国で寿司を普及する事業を手がける。
  「男5人、 女2人の7人兄弟の4番目。 親が苦労している姿を見て育ったので、 苦しい家計を助け、 親を楽にさせたい」 と思い、 西宮の公設市場に丁稚奉公。 魚屋の店頭で2年間売り子をしていたが、 知人の紹介で、 豆腐屋に就職した。 自転車で豆腐を売りに歩くなど、 がむしゃらに働き、 22歳の時に、 念願の独立。 「自分の店を持つことが夢だった。 戦後の経済がどんどん発展していく、 いい時代だった」。
 その後、 神戸そごうにテナントを出店している人から、 「寿司店に使う揚げを買うから、 50万円を出資しないか」 という話が持ち込まれた。 「当時は、 中卒の月給が3万円で、 軽トラック1台が30万円近くする時代。 大金だったが、 思いきって話に乗った」 と話す。 経営を任された寿司店で寿司の握り方を教わり、 寿司も売り、 販路を拡大。 30歳代には阪神間に20店舗を持つまでに。
 転機になったのは、 旅行先の韓国釜山で、 知り合った食品会社の社長と意気投合。 大手デパートの食品売り場で、 寿司を握って売るという販売方法を始めた。 「韓国では、 日本の寿司を客の目の前で握って売るという方法は珍しく、 評判になり、 私も何回か指導に出かけ、 テレビのコマーシャルにも出た」 と言い、 韓国全土に150店と広がった。
 その後、 バブルの崩壊や震災で、 売り上げが減少し、 国内の店舗は縮小。 今は、 JR新長田の駅前で、 魚屋と寿司店を営む。 古里の文化祭などには、 毎年出展。 安価で寿司などを販売する。 「これまでは、 金もうけのことしか考えてこなかった。 今は、 古里のために何かお役に立てれば」 という気持ちが強い。 学生の就職難などで、 厳しい時代。 「忍耐と努力を」 と若い人に呼びかける。

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