常ならざること

2014.08.21
丹波春秋

 武士道を説いた書「葉隠」に、「武士道というは死ぬことと見つけたり」という有名な言葉がある。常に死を覚悟しておくのが武士のあるべき姿であり、死は決して異常で例外的なものではなかった。▼そのように「死は常態であった」とする視点から、思想家の佐伯啓思氏は、「武士にとってはこの世にあって生を楽しむなどということが例外的な事態」であり、生きていること自体が「常ならざるもの、すなわち無常となった」と説く(『反・幸福論』)。▼武士道は遠い昔の観念となった今は、生を楽しむことは無常ではなくなった。しかし今、本当にそうなのかと問いかけられているように思う。相次ぐ自然災害が、生を楽しむなどというのは「常ならざるものである」と、私たちに突きつけている気がする。▼丹波市の水害で、「こんな体験は初めて」という言葉を被害地で聞いた。報道などを通しても近年、よく聞くようになった言葉だ。それは、とりもなおさず、初めて体験するような災害が頻発している証左であり、生を楽しむ暮らしを脅かす災害が起きる日々が常態となったことの裏返しでもあろう。▼平穏無事であり続けることは、常ならざることである。頻発する自然災害は、そんな覚悟を求めているように思える。しかしそれにしても、支払うべき代償が大きすぎる。(Y)

 

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