「石門心学」の教え

2014.09.25
丹波春秋

 「石門(せきもん)心学」という教えがある。江戸時代中期、亀岡市生まれの石田梅岩が唱えた学問だ。その教えは広範囲に広がり、篠山市日置では、今も建物が残る「中立舎」が石門心学の学舎になるなど、丹波でも浸透した。▼商人道を説いた梅岩だが、基底には人としてどう生きるべきかの哲学があった。たとえば、人生において至上のものである労働は利己のためではなく、社会に貢献するものでなくてはならないとした。利己を目的にした倹約は真の倹約ではなく、社会を利するための倹約こそ真の倹約であるとした。▼そんな梅岩の教えに学び、春日町黒井に石門心学の学舎「伝習舎」を創設した人物がいたことを最近になって知った。4千人近い門人がいたという谷川物外(もつがい)だ。春日出身の山口晋さんが進めておられる研究の成果から物外を知った。▼物外の業績で、なかでも注目したいのは伝習舎を開設したのが天明3年(1783)だったことだ。90万人を超える死者が出たという、国情を揺るがした天明の大飢饉のさなか。しかも黒井でも「草根木皮を食した」とされる窮状の中で石門心学の拠点ができ、多くの村人が進んで教えを受けた。▼生きることに追われながらも、生きる上での精神を説き、学ぼうとした人たちがかつて丹波にいたことを誇りたい。(Y)

 

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