兵庫県丹波市柏原地域の新井小学校区の大新屋、 北山両自治会で昭和26年 (1951) から生活用水として長く使われた 「新井水道」 がこのほど廃止になり、 水源の井戸が取り壊された。 柏原町の上水道の完成 (67年) 以前から、 新井村の一部には水道が普及していた。 建物は白壁で意匠が凝らされ、 周辺の景観と馴染んでいた。 長年利用していた人たちは一抹の寂しさを覚えていた。
記録によると、 もともと同町大新屋、 同町北山の両方に共同水道があった。 製麺所の進出で水量不足になった北山の組合が、 昭和24年 (49年) に大新屋に新水源を求めた。 さらに水が必要となり、 2年後に大新屋の水道組合と合同で 「新井水道組合」 を作った際、 今回廃止された井戸を、 新水源とした。 組合員24戸で水源整備と配管に14万7000円を投じた。 高低差がある土地の利点を生かし、 井戸水を電動ポンプで2階にくみあげ、 落差を生かして各戸に配水した。
73年に、 井戸2階の水槽をタイル張りにするとともに、 井戸をブロックで囲み、 改装。 ポンプとモーター、 タンク、 建屋をたびたび補修し、 柏原町水道の導入後も、 町水道と併用して使っていた。
昭和40年代後半から何度も行われた竹安川の改修で水脈が変わり、 その後の下水道工事でさらに水量が減った。 平成に入ってからは井戸水が枯れることが増え、 組合から脱会する人もあり、 解散時の組合員数は10人だった。 組合費は年間1戸あたり6000円だった。
水の出が悪かった今夏、 井戸の廃止を決めた。 空井戸のまま放置するのは危ないとして、 建屋を壊して井戸を埋め、 更地にした。
大新屋で同水道を利用していた女性は、 「当時は井戸水をくんで生活用水にあてるのが一般的で、 水道があるのは珍しかった。 随分都会に嫁いできたと思った」 となつかしがった。 北山の別の男性も 「7月までは使っていた。 おいしい水で重宝していた」 と振り返った。
会計を26年務めた中道弘さん (74) =北山=は、 「町水道を整備する際、 新井水道の視察に来た。 女性は炊事、 洗濯に助かったと思う。 気づいた時に水道があり、 それが普通だった。 いろんなことがあったが、 長い間利用でき助かった」 と話した。