住職の話

2015.06.13
丹波春秋

 山形県鶴岡市の湯殿山大日坊瀧水寺は、弘法大師が高野山より早くに開山。徳川将軍家ゆかりの寺でもある。230余年前に生身で入定した即身仏、真如海上人の、5年に1度の衣替え法要に行き(6面参照)、住職に「春日局(お福)の生地丹波から来た」と告げると、次のような話をして下さった。▼3代家光(幼名竹千代)の乳母だったお福は、とりわけ同寺に帰依し、2代秀忠の病気平癒の名目で来山、竹千代が将軍職の跡目を継げるよう秘かに祈願していた。▼跡目相続をめぐっては、次男国松を据えたい秀忠妻、江与との間で激しい争いがあったことが知られるが、寺に伝わる話によると、竹千代が相手方の奥女中が仕込んだ毒まんじゅうを食べさせられそうになったのを、やんちゃ盛りだった近習のお福の息子が先に食べてしまい、結果的に身代わりになってしまった。▼「お福は竹千代の出世を喜ぶ一方で、この子が不憫でならなかったようだ。亡骸も秘かに本坊まで運び、近くに葬ったと言われる。堂を再建し、大日如来像を奉納するなど、遠く離れた山寺に何故にこれ程まで入れ込んでくれたのか、よく解ります」。▼筆者は難業苦行の末に即身仏となった真如海上人への関心から参詣したのだが、真偽は確かめられないにせよ、思わぬところで郷土の先人の側面に触れた。(E)

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