鈍重の泊雲、無欲の芋銭
19日から丹波市立植野記念美術館で展覧会が始まる日本画家、小川芋銭(うせん)の孫。西山酒造場を営み、俳誌「ホトトギス」の俳人として知られた西山泊雲の孫でもある。泊雲の長男と芋銭の次女が結婚。その間に1943年に生まれた。「泊雲は44年の没。おぼろげながら、赤ん坊だった私をあやしていた姿を覚えている」という。
8年前に西山酒造の社長を退き、会長に就任。経営の一線から離れたことで、泊雲について調べる時間が増えた。泊雲が少年時代に学んだ私塾の跡や、妻の実家の地を訪ね、泊雲の周辺にいた人物の関係者に出会ったりしている。泊雲についての講演を頼まれることもある。
ときに資金繰りに悩むなど、会社経営者としての責任を果たしながら俳句に親しんだ泊雲。「泊雲にとって俳句は、生きるよりどころであり、宗教であったと思う」。2、3時間も、しゃがみこんだままで句作に没頭したともいう。「自らを鈍重と言っていた泊雲の句風には重厚感がある」と評する。
一方の芋銭については、「芋が食べられるだけのお金があればいいから、『芋銭』と名乗っただけあって、無欲の人物」という。毎朝、延命十句(じっく)観音経を200回唱えていた芋銭にならって、西山さんも20年ほど前から、朝起きると、同観音経を唱えている。
「泊雲忌これより霧の丹波かな」。泊雲の長男で、同じく俳人だった謙三氏(号・小鼓子)の句だ。泊雲の命日は9月15日で、その4日後に芋銭展が始まる。「丹波を愛し、丹波に長逗留したことがある芋銭のこと、芋銭と深いつながりがあった泊雲のことを知ってもらえれば」という。72歳。