「人に親切にするけれど、それは、その人が幸せになれば私の気持ちもいい。全部、自分のためなんです」
ラジオから流れる言葉に深くうなずいた。一見、自己中心的にも思えるが、「みんながそう思えば、誰もが親切にし合える地域になると思うんです。だから自分のために親切をすればいい」と続き、再度、うなずいた。
よく考えれば当たり前のことで、周りが不幸なら幸せな自分を妬むだろうし、妬まれていることを知れば、自分の気分は決して良くない。
川端康成は、「一生の間に一人の人間でも幸福にすることができれば自分の幸福なのだ」と言ったし、宮沢賢治は、「世界全体が幸福にならないかぎりは個人の幸福はありえない」と断言している。
それで、私はどうするのか。市民として、目に見える範囲の人に親切を。記者としては、幸せを感じてもらえるような記事を書かなければならない。
憎み、憎まれは不幸を産む。たとえ自分のためであっても、世界が親切であふれればいい。フランスでテロの犠牲になった人々に哀悼の意をささげたい。(森田靖久)