新米の季節

2016.09.10
丹波春秋

 文化勲章を受けた柏原出身の農学者、安藤広太郎氏の研究によると、7、8世紀ころの日本では約100万の水田が開かれていたという。当時の反収から推測すると、総生産量は約100万になるらしい。その時代の人口は1000万人以下と言われているそうで、人口比からすると「驚くほど多い生産量」だった(渡部忠世著『日本から水田が消える日』)。▼他のどの食糧素材よりもはるかに多かった米の生産量。我が国の文化形成に米作りが大きくかかわってきたのは当然の帰結だろう。▼思想家の松本健一氏は、「石の文明」の欧米、「砂の文明」のイスラム圏に対して、アジアは「泥の文明」だとして、泥の文明に属する日本は、泥沼の国土を水田に整えたという。そのことを端的に示す地方が丹波だともいう。▼「丹波は『丹の海』という古名のとおり、赤い泥沼という意味である」と松本氏。朝夕に立ちのぼる霧が丹波の特産を育てているのは、それだけ土地に湿気があるということであり、「これは丹波の地がかつては泥沼の状態だったことを意味している」と、著書に書いている。▼泥沼だった丹波の土地を先人たちが水田に変え、その米作りが丹波の文化をはぐくみ、人々の精神を養ってきた。そんな風土で実った新米をいただける季節が今年も巡ってきた。(Y)

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