稽古

2016.10.15
丹波春秋

 文部大臣などを務めた氷上町出身の政治家、有田喜一は子どもの頃、病弱だった。大学病院の医師から特別の養生をしなければ早死にをすると言われ、食前、食後、食間と1日に何回も薬を飲んでいた。▼そんな喜一少年を変えたのは、旧制柏原中学校への通学だった。往復で12。雨の日も雪の日も歩いて通学した。定期試験が終わった後は、1週間から2週間、病床に就いたという。▼しかし、その徒歩通学のおかげで頑健な体になった。小学校時代、「骨皮筋衛門」とからかわれた喜一だが、のちに「丹波の黒牛」と言われるほどの立派な体格になった。喜一は後年、柏原中時代の徒歩通学を「尊い体験」と振り返っている。▼モスクワ五輪の陸上5000代表になった西紀町出身の森口達也氏にも、尊い体験がある。森口氏は、篠山産業高校丹南分校までの約25を自転車で通った。途中には峠もある。農作業の手伝いに加えて、高校時代の長距離通学が自然と体力や体幹を養ってくれたと、先ごろ母校の西紀中学校で講演した。▼「稽古」という言葉は、「古を稽う」という言葉がもとになっている。昔の物事をよく考え、自分の生き方の参考にするという意味らしい。今の時代にあって、2人の尊い体験を参考にすることは、心身を鍛える稽古に通じる。(Y)

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