故郷への思慕

2016.11.12
丹波春秋

 BC級戦犯として巣鴨拘置所に収監された元柏原高校教諭の大槻隆さんが、収監中の1953年に丹波新聞に寄稿されていたことを先ごろ知り、その新聞を引っ張り出して読んだ。1000字程度の原稿。そこには故郷への思いがつづられていた。▼上官の命令でアメリカ兵捕虜の処刑に加担したことで47年春に逮捕拘禁された。48年12月の本判決で重労働30年の刑が下るまで独房生活を送ったと、生前、大槻さんから聞いた。一畳半ばかりの独房。独房の窓越しに、死刑囚が死刑場に引き連れられていくのが見えたという。▼「容赦なき死の宣告のつづくとき表情堅く呆けて居たり」。仲間の相次ぐ死の宣告を耳にして詠んだ歌だ。25歳から33歳までの8年間を巣鴨で送った大槻さんを支えたのは作歌活動だった。▼故郷への思慕も大槻さんを支えた。丹波新聞への寄稿に、「故郷丹波への思慕は一日を生き永らえるための私の心の拠り所であった」「戦犯となって牢獄で初めて知った故郷を持つ者の心強さ」とある。すべての欲望を捨てざるを得なかった巣鴨にいて、「故郷と、故郷に待つ母への愛執は断念することができなかった」とも書いている。▼幸い減刑となり、柏原高校の教壇に立った大槻さんは名物教師となった。名物教師の裏側にあった過去を寄稿から知った。(Y)

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