鮮明に残る分校体験
三田市在住
1950年(昭和25)篠山市今田町木津(こつ)生まれ。三田学園中、高校を経て大阪経済大学経済学部卒。72年にダイハツディーゼル入社。取締役船舶事業部長兼東京支社長、常務取締役を歴任し、92年に代表取締役社長、今年5月に代表取締役会長。
ダイハツディーゼルは、一般貨物やタンカー、カーフェリーなどの船舶用のほか、空港や病院の非常用ディーゼルエンジンなど製造する。東証2部に上場。親会社は自動車製造のダイハツ工業。「会社の50周年を機に、社長から会長になった。東証1部上場を目標に業績を伸ばしたい」と抱負を述べた。
入社早々、当時世界一の造船会社、三菱重工長崎造船所を担当。「船に自社製品を使ってもらおうと思えば、船を発注する船主の意向も大きく、船主にも食い込んだ」という。
ロンドン支店(現ダイハツディーゼルヨーロッパ)時代の体験が営業活動に大きな影響を与えた。34年前、日本製エンジンの性能は、欧米製に比べ劣っているとの評価が一般的で、追い打ちをかけるようにエンジントラブルが続き、ある船主から欧米製に変更するという通告を受けるなど屈辱を経験。「その後会社一丸となり対策を確立し、帰国後も現地を訪れる度に船主を説得。ついに30年後採用してもらった感動は何ものにも代えがたい経験だった」。この経験から社員には、「諦めずに粘り強く交渉を」と呼びかける。
目下、今まで困難だった工場改革に力を注ぐ。「親会社の知恵を借りて、効率的な生産を」と意欲。ふだんから若手と酒を酌み交わし、人間関係を築いてきた人柄も、改革を後押しする。
「1年から4年生まで学んだ今田小学校釜屋分校(5年から本校へ)での生活が鮮明に残る。山や川が遊び場や学習の場にもなった。同級生20人の小規模校の体験が、人間関係づくりに役立った。同級会で出会えば、○○ちゃんと名前が飛び交い、童心に帰れます」と笑顔を見せた。