自分史

2016.12.26
丹波春秋

 奇才の寺山修司は「私は、私自身の記録である」と言った。私の今は、私のこれまでの歩みの上にある。あなたの今もあなた自身の歩みの集積であり、誰しも、その存在の背後にはそれぞれの歩みがある。そんな意味の言葉と解する。▼歩んできた記録を文章などにまとめ、形にしたのが自分史と言える。丹波市内の女性グループが年1回、発行してきた文集「ステップワン」がこのほど20号目を数えた。その編集後記にメンバーの一人が「自分史ができました」と書いている。▼阪神大震災で被災した家族のこと、孫の成長、病気、友人との交流など、身の回りのことをつづった文章が20年間、積み重なると、一つの自分史になったという。年月をかけて編みだした自分史に感慨もひとしおのことと思う。▼1975年発行の「ある昭和史―自分史の試み」が、自分史という言葉が歩き出した端緒になったらしい。著者の民衆思想研究家の色川大吉氏は、どんな人にも歴史があるとし、それがたとえ誰にも顧みられないものであっても、「当人にとってはかけがえのない“生きた証”であり、…この足跡を軽んずる資格を持つ人間など、誰ひとり存在しない」とした。▼今年ももうすぐ暮れる。1年間の歩みをつづってみるのもいい。積み重ねれば、貴重な自分史になる。(Y)

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