天の橋立駅の西側の山裾に向かって狭い道を進むと程なくして右側に神社が見える。石段を登って社殿に近づく。境内は静かな佇まいである。この社は元知恩寺の鎮守社として建立され、三寶荒神と称していたが、明治の神仏分離令で社名を吉野神社と改めた。祭神は不詳。創建は戦国時代、細川幽斉が信長より丹後地方を与えられ、宮津城を築いた際に、大和の吉野から桜を求めこの地に植えたと伝わる。
境内の摂社は稲荷神社である。石に彫った扁額は素晴らしい。拝殿向拝中央に竜の彫り物が見えるが梁間がやや狭いので窮屈そうである。左前方を睨み目は赤く塗られて、左前方の宝珠をしっかり握っている。木鼻は定番の唐獅子と獏、持ち送りは菊の花、手挟みは波に浮かぶ水鳥、兎の毛通しには鳳凰が見える。脇障子は、神仙説話の黄河の治水と牛を引く鉄拐仙人である。丹波柏原の6代目中井権次橘正貞の若いころの彫り物である。
中井権次研究家 岸名 経夫