兵庫県篠山市般若寺の住民らでつくる「般若寺の史跡を守る会」が、かつて集落内の山中に存在した江戸時代のキリシタン寺「天通寺」の跡地に説明板を設置した。織田信長の時代に京都でイエズス会が建立した南蛮寺などと並び、当時の「日本三大キリシタン寺」とも称される天通寺。現在は跡形もないが、説明板を設置した住民は、「地元でも伝説として残っている程度だが、次の世代にも天通寺があったことをつないでいけたら」と願っている。
天通寺は、一時、八上藩主を務めた前田家に仕えたキリシタン・奥村宗旦が慶長9年(1604)に建立したとされる。史料によると、当時、山頂には十字架が建てられ、キリスト教徒の礼拝所とされていたという。
しかし、建立から10年後の慶長19年(1614)、徳川幕府によるキリシタン禁教令によって破壊された。現在は屋敷跡と思われる平らな場所が数カ所見られる以外は何の跡形もない。
「守る会」は、地域の協力を得ながら、2017年度、市の「地域の歴史を活かしたまちづくり事業」を活用し、木製の説明板を作製。観音堂の裏手で天通寺があったとされる場所付近に建てた。
また、16年度にも、戦国時代に丹波攻めを行った明智光秀が築いた「般若寺城跡」の整備を行うなど、地域内の史跡整備に取り組んできた。
代表の小島博久さん(67)は、「住民が自分の村のことを知っておくことが大切。そのためにも史跡を守り、次の世代に伝えていきたい」と話していた。