自然環境や自然保護など、ごく普通に使っている「自然」という言葉だが、今のように日常用語になったのは明治時代の末以降らしい。明治になって自然科学の思想が日本に入ってきて、ネイチャーなどの訳語として生まれた。日本人はそれまで自然を認識の対象として客体化することはなかったから、「自然」という言葉は必要なかったのだ。
自然を人間と同一のものとみなしていた。そのためだろう、哲学者の内山節氏は「日本では、もともと村とか集落といった言葉は、人間の社会をさすものではなく、自然と人間が暮らす共同の空間をさす言葉であった」と書いている。
「わが村」というとき、それは「人間の村」ではなく、「わが自然と人間の村」のことだった。村とは、自然と共にある人間の営みの場だった。
「丹波の森づくり」が始まって30年になる。最初、この言葉が唱えられたとき、一部では山や川を守り育てることと考えられた。もちろん、それも森づくりの一部だが、「丹波の森づくり」はかつての「わが村」観に基づくものと理解している。
恵まれた自然と共にある私たちの暮らしが「わが丹波の森」であり、自然の中で人間らしい暮らしが享受できる地域になるよう、住民がそれぞれの分野で活動することが「丹波の森づくり」だと考える。(Y)