削られた「光秀」の名 「赤鬼」赤井直正招魂碑の謎 「意味理解せず削った?」

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「光秀」の名前が削られている部分。うっすらと残るため、読むことができる=兵庫県丹波市で

兵庫県丹波市の黒井城跡の登山道には、江戸時代に建立された同城主・赤井(荻野)悪右衛門直正の招魂碑が今なおたたずんでいる。直正は「丹波の赤鬼」の異名で恐れられ、明智光秀と激戦を繰り広げたことで知られるが、招魂碑に直正の生涯が漢文で刻まれている中、いくつか登場する光秀の名が何者かによって削られている謎がある。この謎に迫ろうと、同市文化財保護審議会委員の山内順子さんがこのほど、同市内で講演。100人ほどの来場者が集うなど高い関心を集めた。

黒井城跡の登山道にたたずむ赤井直正の招魂碑=兵庫県丹波市で

招魂碑は1819年(文政2)の建立。光秀が来襲した丹波国平定戦「丹波攻め」を刻んだ部分で登場する光秀の名が、5カ所中3カ所削られている。

山内さんはまず、碑文の内容について、どんな史料を情報源に直正の生涯を刻んだのかを調査したとし、有名な「明智軍記」「絵本太閤記」に加え、地元に伝わる直正に関する伝記の内容を比較したところ、直正を紹介した部分に共通した記述が見られたり、独自の内容が記されていたと説明。「招魂碑の漢文は有名な文書だけでなく、地元の伝記の内容も参考にし、いくつかの文書を見て碑文に採用したのではないか」と推測した。

赤井直正の招魂碑について語る山内さん=2020年2月2日午後1時37分、兵庫県丹波市春日町黒井で

また、招魂碑には建立の経緯も彫られていることに着目。建立にかかわった人物として、地元住民とみられる名が多く刻まれていることから、寺院などを中心に、当時は大人が漢学などを習い楽しむサロンのような集まりがあった可能性を示唆。また、「(京都府の)亀岡市史によると、18―19世紀にかけ、(黒井城があった地域も属した)亀山藩領内で有志によって顕彰すべきことを取り上げ、記念碑を建立する動きがあった」と話した。

光秀の名が削られていることについて、「光秀が敗走した」という意味の部分は削られていないことから、「碑文の意味を分かった上で削ったわけでもなさそう」と話した。

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