「おじ殺し」が共通点 平安武将なぞらえ「悪」名乗る? 光秀破った赤井「悪右衛門」直正

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浮世絵集「武者かゞみ」(安政6年)に載った「悪源太義平」(個人蔵)

戦国時代、丹波国に覇を唱えた黒井城主・赤井(荻野)直正が名乗った「悪右衛門」は、平安時代後期の武将「源義平(鎌倉悪源太)」になぞらえたと記述した史料が見つかった。同城跡がある兵庫県丹波市の「柏原歴史の会」会長の竹内脩さん(77)が十数年前、市内の知人に見せてもらい、コピーしていた「赤井家傳記」を、このほど読み解いて判明した。

 源義平は、源義朝の長子で、源頼朝・義経らの異母兄。伯父を倒して功名を上げ、「悪源太」と呼ばれたという。黒井城主だった叔父の荻野秋清を殺し、自らが城主となった直正と境遇が重なるところもある。「赤井家傳記」には、「悪源太義平の昔に習ひ悪右衛門ノ尉直政と改名し黒井城主となりにける」(原文は漢字とカタカナ)と記されている。
 この「赤井家傳記」がいつごろ書かれたものかは不明。1656年以降、版本として出回った「甲陽軍鑑」の記述を参考にした内容があることから、これより古いものではないとみられる。
 直正の伝記は、家臣の家に伝わってきたものなど、これまでに約10種類が丹波市内で確認されている。これらに目を通している市文化財保護審議会委員の山内順子さんによると、「『悪源太』のくだりは他にはない記述で、ユニーク」という。「悪」の字について他のものでは、「強い」「孝の道に背いている」といった意味合いで付けたと書かれていることが多いという。

竹内さんがコピーを保管していた「赤井家傳記」の1枚目

また、他の伝記が漢字とひらがなで書かれているのに対し、この「赤井家傳記」は漢字とカタカナで記されている点も、他とは異なっている。

 このほか、直正の死について、「天正6年3月9日に『首切疔』という病で亡くなった。直正の弟の悪七郎が跡を継ぎ、直正の供養をして清安寺に送った」と書かれている。清安寺は、黒井城から近い同市市島町勅使の寺で、竹内さんは「不明とされる直正の墓の場所は、清安寺かもしれない」と推測している。
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