南三陸で被災の尺八職人 友の助けで再出発 津波「稲妻のような音」

2020.03.11
ニュース丹波篠山市地域

丹波篠山市に移住し、自宅の一室で尺八の製作に励む星さん=午後零時34分、兵庫県丹波篠山市栗柄で

東日本大震災による津波で宮城県南三陸町の自宅が流され、全てを失いながらも、旧友らの助けを得ながら兵庫県丹波篠山市で再出発を果たした尺八職人がいる。星之規さん(66)”竹号・梵竹”。尺八を作り始めて、およそ40年の職人で、昨年6月、同市栗柄に移住し、自宅の一室に設けた工房で製作に励んでいる。「丹波篠山で尺八のことを知ってもらう教室を開きたい。もちろんボランティアで。丹波篠山にも尺八の文化がより根付いてくれれば」と話している。あの日から、丸9年―。

2011年3月11日、地元の温泉に向かっていた道中で震災に遭遇。海から離れた友人宅にいちはやく避難したため、幸い無事だったが、「稲妻のような音」の津波が町を襲った。

1週間後、家があった場所に戻ると、自宅が跡形もなく流されていた。尺八製作用に保管していた竹材2000本や道具など全てを失った。「後のことは何も考えられなかった」と振り返る。

ぼうぜんと避難所生活を過ごす中、尺八販売の仲介役をしていた親友の故・神崎憲さんから「お前は尺八を作らなあかん」と背中を押された。神崎さんや多くの尺八関係者が、道具や竹材集めなどに協力。仲間の助けも得て、同年10月ごろ、滋賀県の工房で製作を再開した。その後、「災害が少なく、静かで自然環境がいいところ」を探す中で見つけた丹波篠山に腰を落ち着けた。

星さんが全て手作業で作り上げた尺八。海外からの注文もあるという

尺八との出合いは20歳のころ、旅先のカナダの路上で聴いた、とある日本人の演奏がきっかけ。帰国後、尺八奏者の第一人者、三橋貴風に弟子入り。国内外でコンサートやワークショップを開くなど、普及活動にも尽力した。カナダ、福島、母の実家がある滋賀など工房を転々とした後、「海が綺麗なところがいい」と2009年、カナダから宮城県の南三陸町へと移住。震災はその2年後だった。

星さんが尺八を製作する上で一番心掛けているのは「バランスの良い音が鳴るように作ること」。丹精込め、全て手作業のため、2カ月に5本ほどしかできない。厳選した脊振山(佐賀)の竹を使用。漆を内側に塗ったり、設計図に対して1000分の1ミリ単位で寸法を合わせるなど、職人技を駆使した“一点もの”を製作。星さんの作る尺八を求め、国内外から注文がくるという。

尺八を持っていない人でも気軽に吹けるようにと、水道管をアレンジした尺八も製作。音は本物と比べても遜色がないと言い、「興味を持ってくれた方は、まず『水道管尺八』で体感してもらえたら」とにっこり。

「一番の魅力は、自分の『魂』を表現できるところ。息の吹き方ひとつで音の強弱がつけられて、人柄が出るのが面白い」と笑い、「ゆっくり、丁寧に作りながら、尺八の魅力を地元の人たちに伝えていければ」と話している。

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