山中におびただしい数の靴が散乱する。靴の持ち主は近隣住民たち。そして、”窃盗犯”は、あの動物―。2017年夏、兵庫県丹波市春日町黒井区で、野生の「キツネ」が民家の軒先などにある靴を盗み、ねぐらにくわえて帰るという“キツネ靴泥棒”を報じた。約3年が経過したが、程度の差はあれ、今も被害が出ているという。今年も住民から記者のもとに「靴を盗まれた」という情報が寄せられた。ねぐらとみられる山を確認してみると、ざっと200足以上が散乱。再び”事件”に迫った。
被害の住民「また靴回収に行かなあかん」
「あぁ、今日もだれか盗まれとるわ」―。靴が散乱する山の近くに住む臼井靖則さん(64)は、今年もそうぼやく。ある日、午前3時ごろに目が覚め、ふと外に出てみると、街灯の薄明りの下、キツネが“獲物”をくわえて目の前を走り去っていったという。
数年前、地元の自治会長を務めていた際、地域で靴がなくなる事案が頻発。当初は誰かのいたずらという説がもっぱらで、被害を駐在所に届け出た人もいたという。
「キツネの犯行と分かり、『軒下に靴を置かないで』と回覧した。その手前、大きい声では言えないけれど、うちも何足か盗まれたんやけどね」と頭をかく。
臼井さんによると、昨年、近くで3匹ほどのキツネが車にはねられ死んだという。この山のキツネかどうかは分からないが、「今年は少なくとも2匹いるのを確認した」と証言。年4回、自治会役員がねぐら周辺に散乱する靴を回収したこともあり、「今年も山に行かなあかんやろなぁ。キツネにはコロナは関係ないしなぁ」と苦笑いを見せた。
被害者を特定「私のです」
記者が現場に到着すると、ねぐら周辺を中心に大量の靴を確認。子ども用、大人用を問わず、スリッパ、運動靴、ブーツ、野球ボールまである。新品同様の靴もちらほら。とりわけ目立つピンク色のスリッパが目に入り、近づいてみると、「食品加工科」の文字とともに、手書きで女性の名前が書いてあった。この低い山の向こう側にある高校の生徒のスリッパだ。
今年3月に同高校を卒業したという”被害者”のAさん(19)は、ねぐらから500メートルほど離れた場所で暮らしていた。スリッパの写真を見せると、「私のです」と笑った。
Aさんによると、卒業後、自宅の庭で家族が履くために勝手口付近に置いていたところ、2足とも盗まれたという。「私はあんまり履いていなくて、なくなったことも気付かなかったくらい」と話し、「こんなことで取材を受けることがびっくり」とほほ笑んだ。
専門家は「餌と間違え盗む」と見解
キツネの生態に詳しい麻布大学の塚田英晴准教授によると、「親ギツネが、子ギツネに餌として与えていると勘違いしていると考えられる」という。靴には当然、人の足のにおいが付着し、その油分が微生物によって分解される。それはタンパク質が腐ったにおいに近く、食べ物と間違えて盗んでいると考えられるそう。
塚田准教授によると、キツネは3月下旬―4月初旬に子を産む。子育て期間の8月下旬ごろまで、親は子に餌を与えるため狩りに出るという。「親が餌としてくわえて帰っても、靴は餌ではない。食べ物が欲しい子は餌を欲しがる。靴を餌と思い込んでいる親は、ひたすら靴を盗み続ける」と言い、「キツネは独占欲が強く、他のキツネと並んで餌を食べることはないため、子が靴を食べている姿を見ることもない」と話す。
「うちの大学のゼミ生も、黒井地区の事例を研究しようと、今年、現地に行く予定でした。コロナでだめになりましたが」と語った。
「まさか」現場に現れたキツネ
現場での撮影を終え、そろそろ帰路につこうかと目線をふもとに向けると、突然、子どもとみられるキツネが姿を現し、斜面を登ってきた。こちらには全く気付いていない。静かにカメラを構え、シャッターを切った。
“獲物”はくわえていなかったが、散乱する靴とともに貴重なショットが撮影できた。「人の靴、盗んだらあかんでって親に言うとき」と心の中でつぶやいた。