税免除の特権与える? 秀吉治世の文書見つかる かつて「丹波の赤鬼」治めた村

2020.11.17
ニュース丹波市地域地域明智光秀と丹波地域歴史

1588年2月に書かれた文書=2020年10月23日午後2時17分、兵庫県丹波市春日町黒井で

豊臣秀吉の治世、1588年(天正16)に書かれた古文書2通が兵庫県丹波市春日町黒井の個人宅で見つかった。いずれも秀吉配下とみられる人物が黒井の百姓に宛てたもので、茶や漆、綿の税を免じるなどという内容。同市文化財保護審議委員の山内順子さんによると、当時の黒井地区では、これら商品作物が流通していたことが推測できるとともに、黒井に税免除の特権を与えられていたことがうかがえる貴重な資料という。古文書は春日歴史民俗資料館(同市春日町黒井)で開催中の企画展「丹波市の中世城館」(12月6日まで)で展示されている。

1588年10月に書かれた文書=2020年10月23日午後2時17分、兵庫県丹波市春日町黒井で

同年2月付の文書は、速水又次郎と上田久八という人物が、「黒井村ならびに町」の百姓中に宛てて、「茶や綿、漆の税を免じることを許す」と記されている。

山内さんは、黒井が「村」「町」に分けて書かれている点に着目。「あえて書き分けていることから、当時の黒井には都市のような町が形成されていたのではないか」と推測する。

もう一方の同年10月付の文書は、本田五郎右衛門と和田吉左衛門が黒井村の百姓に宛てている。2月の文書を念押しするような内容で、「先判の旨に任せて(税を)免除する」旨を記している。

山内さんによると、両文書の差出人4人は、年代的に秀吉の家臣と推測でき、家臣団の中にも同姓の人物が確認できるという。

黒井地区には山城の「黒井城」があり、戦国期には「丹波の赤鬼」の異名を持つ赤井(荻野)直正が城主を務めた。天正年間、織田信長の命で、明智光秀による丹波国平定戦「丹波攻め」が行われ、直正は光秀を撃退。数年後、光秀はふたたび黒井城を攻め、ようやく落城させた。

戦いの後、光秀は重臣の斎藤利三を戦後統治に当たらせた。のちに豊臣秀吉配下の堀尾吉晴が入城したが、廃城になった。

黒井は江戸期に亀山藩領となり、当時の領主から茶や綿の税を免除することを許された文書が存在する。いずれにも「前例をふまえて税を免じる」とあるため、1588年に定められたことが、江戸時代以降も基準となっていたことが分かるという。

また両文書は、明智光秀による「丹波攻め」での黒井城落城、黒井が斎藤利三や堀尾吉晴による統治を経て、亀山藩の領地になる間に書かれたもので、この時期の一次史料は乏しいため、黒井の様子を知る上でも貴重という。

山内さんは「秀吉は、各地で庶民を味方につけるためにメリットを与えた。黒井地区も、その一例ではないか」と話している。

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