廃線記念のレリーフ SL模型が別物、既製品流用? 49年前「国鉄篠山線」

2021.02.28
地域歴史

篠山線廃線記念として配られたレリーフ=2021年2月24日午前11時32分、兵庫県丹波篠山市日置で

49年前の2月29日は兵庫県丹波篠山市内にあった「国鉄篠山線」が廃線となった日―。篠山線に関連するさまざまなものが並ぶ市立城東公民館の展示コーナーに、「篠山線廃線記念」と書かれたレリーフが置かれている。立派な蒸気機関車(SL)の小型模型が施されており、「これが走っていたのか」と当時の情景に思いをはせていると、篠山線に詳しい松本剛さんが言った。「それ走ってへんで」―。え? どういうこと?

レリーフにはSLのほかに、廃線記念の文字と「営業開始 昭和19年3月21日」「廃線 昭和47年2月29日」と書かれたプレートが付いている。SLには、「C6133」と型番が入っている。よく見ると、車体に「福」の文字が張り付けられている。「たぶん福知山区(同市と隣接する京都府福知山市)という意味だと思うけれど、福知山線すら走っていない」と松本さん。

全国の機関車の車歴を網羅した「機関車表」によると、C6133は主に鹿児島に配属され、1971年に廃車となっている。この時点で篠山線、また福知山区にもなかったことは明白な上、松本さんは、「このSLが篠山線を走ったらレールは壊れ、のり面は崩れる」と苦笑する。なぜか。

篠山線は通称「30キロレール」(1メートル当たりの重量が30キロ)という強度のレールが敷設され、C11型など、主に小型で「豆機関車」と呼ばれるSLが走っていた。

しかし、C6133は石炭や水を運搬する「テンダー車」が接続され、長距離移動が得意なSL。当然、豆機関車と比べて重量が重く、篠山線のレールやのり面の強度では耐えられないという。

またテンダー車があることで、バック走行には不向き。そのため、向きを変える「転車台」を使うことになるが、篠山線に転車台はなかった。

「篠山町百年史」によると、篠山線の「お別れ列車」が走った1972年2月29日正午から旧丹南町公民館でお別れ記念式典が開かれており、問題のレリーフは式典参加者に配られたものではないかと推測できる。

1972年は鉄道開業100周年の年でもあり、さまざまな鉄道グッズが販売された。レリーフもその中の一つで、ブームに乗って既製品のグッズにプレートと「福」の文字を入れ、記念品にしたとみられる。実際、他の場所でも同じSLのレリーフを用いた記念品が作られている。

松本さんは、「当時を知る人はほとんどなく、誰が作って配ったものかも分からない。既製品なら廉価だし、悪気があったのではないと思うが、最後まで廃線に反対の声があるなど、たくさんの思いが詰まった篠山線の廃線記念品としてはいただけない。歴史がゆがんでしまう」と言い、「どんなことでも事業をするということは、こだわりを持ち、裏付けをしっかりするべき。そういう教訓は伝えてくれています」と話した。

レリーフは元国鉄職員の家から松本さんが譲り受けたもの。レリーフのそばには、実際は走っていないことを伝える注意書きを添えている。

来年は廃線から50年の節目。今一度、郷里を走った鉄道に思いをはせるチャンスかもしれない。

国鉄篠山線 1944年に開業し、篠山口―福住間を6駅約17・6キロで結んだ。太平洋戦争中、丹波篠山市内で産出するマンガンや珪石の輸送を主な目的として敷設されたが、利用者の減少から1972年に廃止された。

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