【評伝】「なぜ人は戦争を…」 抱き続けた懐疑とは サル研究権威の河合雅雄さん(下)

2021.05.23
地域

兵庫県立ささやまの森公園で開設の「森の学校」の名誉校長を務めた河合氏(前列中央)と、森の学校で学ぶ子どもたち=2015年5月、兵庫県丹波篠山市川原で

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14日に97歳で亡くなった、京都大学名誉教授で世界的に知られる霊長類学者の河合雅雄さん。サル研究の権威であり、児童文学作家としても活躍するなど、多彩な顔があった。そんな河合さんは、自然豊かな兵庫県丹波篠山市で生まれ育った。生涯、郷里の美しい自然や文化を愛した河合さんの人生をたどる。

1988年、丹波の森協会が設立され、91年には丹波の森づくりの担い手を育てる場として「丹波の森大学」が開講。河合さんは初代学長となった。96年、同県丹波市に丹波の森公苑が開苑し、初代公苑長に就任した。就任時の取材に、丹波の森公苑の存在意義について「森は経済的資源、環境的資源であると同時に文化的資源でもある。森に親しむ新しい文化を創造したい。森林生活という新しいライフスタイルの拠点として丹波の森公苑ができた」と語っていた。

この頃、河合さんはまだ愛知県犬山市に住んでいた。ふるさとの丹波篠山市に居を構えたのは2002年、78歳の時だった。河合さんは、犬山市にある日本モンキーセンターの設立に参加し、所長を務めた。同市に住むこと46年。「犬山は、僕にとっては仕事の場所であり、戦いの地だった」という河合さんは、もともと犬山市を離れて丹波に戻る気はなかったそうだが、転居前年の夏ごろ、急にふるさとに帰ることを思い立った。当時、取材に「余生をどう過ごすか本気で考えたときに帰ろうかな、と。子どものときから自然に親しむというより、おぼれていた。ふるさとが身にしみているのが大きかった」と答え、「丹波の皆さんと一緒に楽しみながら、ふるさとづくりができれば」と、余生を丹波地域のために捧げる意志を示した。

この年、自伝的小説「少年動物誌」を原作にし、三浦春馬さんが“雅雄役”を演じた映画「森の学校」が公開された。

兵庫県立人と自然の博物館の館長時代、河合さんの発案で「ボルネオジャングル体験スクール」を始めた。ボルネオの原生林に子どもたちを連れて行き、体全体で自然にふれ、自然の醍醐味を楽しむもの。丹波の森公苑でも「丹波縄文の森塾」、運営協議会会長を務めた県立ささやまの森公園でも「森の学校」と名付けた子どもの自然体験プログラムを展開するなど、子どもを自然に帰す事業に取り組んだ。「プールなんて面白くない。子どもが遊べる川を取り戻すべき。川の横にプールがつくられていると、爆破したいような気持ちになる」という過激な言葉が記憶に残る。

子どもの頃から本に親しみ、本が好きだった河合さんは児童文学作家でもあった。草山万兎のペンネームで多くの本を出版。一昨年には「ドエクル探検隊」という長編小説を出した。同書のあとがきに河合さんは、「太平洋戦争で戦死した日本の軍人・軍属は、約二三〇万人といわれ、(中略)自然の中に生きる動物たちの間には戦争はありません」と書いている。サル学を志した動機の一つは、なぜ人は戦争のような残虐な行為をするのか。人間とは何か、という懐疑だった。この懐疑に終生、こだわり続けた。

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