【評伝】けんか強いガキ大将 自宅はまるで「動物園」 サル研究権威の河合雅雄さん(上)

2021.05.22
地域

ささやまの森公園に設置した「万兎の森」開きの式典で、出席者と記念写真におさまる河合雅雄さん(中央)=2008年3月、兵庫県丹波篠山市川原で

14日に97歳で亡くなった、京都大学名誉教授で世界的に知られる霊長類学者の河合雅雄さん。サル研究の権威であり、児童文学作家としても活躍するなど、多彩な顔があった。そんな河合さんは、自然豊かな兵庫県丹波篠山市で生まれ育った。生涯、郷里の美しい自然や文化を愛した河合さんの人生をたどる。

大正13年(1924)、「河合6兄弟」の3男として生まれた。5男は、元文化庁長官で臨床心理学者として大きな足跡を残した隼雄さん。長男は外科医、次男は内科医、4男は歯科医。6男は精神科医。そんな6兄弟を育てた父親は、小学校卒業の学歴で歯科医になった苦労人だった。

河合さんは幼い頃に重い百日咳にかかり、小学校3年生のときには小児結核にかかった。このため、小学校時代は半分ぐらいしか学校に行けなかった。当然、学校の成績は悪く、さんざんな通知表だった。両親は、そんな通知表をほかの兄弟が見ないように隠し、兄弟には「雅雄はなかなかよくやっている」とかばった。河合さんは、「そのおかげでコンプレックスを持つことも、いじけることもなかった」と振り返り、「両親は私が生きていてくれればいいと思っていたのでしょう」と語っていた。

寝床に伏せる日も多かったが、体調がいいときは釣りや虫捕りをするなど、自然にどっぷりつかった。家でさまざまな動物も飼った。ニワトリ、犬、シマリス、ジュウシマツ、文鳥、ブルーインコなど。家族や近所から「動物園長」と言われるほどだった。河合さんからこんな笑い話を聞いたことがある。「学校が終わって家に帰ったら、動物の世話など、楽しいことがいっぱいあったから宿題をする暇がなかった。それで次の日、よく廊下に立たされました。水を入れたバケツを持って立っていると、アメンボが入ってくることがあって、思わずニタッとすると、それを見た先生から『立たされているのに何を笑っている』と怒られました」

体は弱かったが、けんかは強かったので、ガキ大将的な存在だった。弟の隼雄さんが2006年に篠山チルドレンズミュージアム(丹波篠山市)で行った講演で、子ども時代を振り返り、「兄の雅雄は、よその家のスモモの木からスモモを盗むなど、すばらしくわんぱくだった」と語ったことがある。泣き虫で弱虫だったという隼雄さんだが、いじめられることはなかった。「雅雄が私を守ってくれたのです。雅雄は下級生を守り、いざとなったら、強い奴と対抗しました」

「雅雄少年」が嫌ったのは、卑怯だった。「私が子どもの頃、『あいつは卑怯な奴だ』というのは、その子どもに対する最大の侮辱でした」と話していた。芯のあるガキ大将だった。

野山を駆け回り、動物と触れ合った少年期の体験。それがのちにサル学に進んだ理由だが、ほかにもう一つの理由がある。戦争体験だ。病弱で戦地に赴くことはなかったが、人はなぜ戦争という残虐な行為をするのか。しかも戦争が終われば、スイッチを切り替えたように態度が変わる。それはなぜか。人間とは、どういう動物なのかを、大元にまで立ち返って探ってみようとサル学を志した。

(下)

関連記事