人を育てるのが値打ち
11期生として中学時代の3年間、神崎紙器グラウンド(丹波市氷上町新郷)で白球を追った翁田大勢投手(関西国際大4年)が、ドラフト会議で巨人から1位指名を受けた。ボール一つなく、部員ゼロから立ち上げたチームから「夢のまた夢」だったプロ野球選手が間もなく誕生する。温かく応援してくれる人があった一方、「田舎で選手は集まらない」「中学校の部活があるだろう」と冷ややかな声もあった。部員が集まらなければ1年で畳むことになるかもしれない覚悟で始めたチームは、「硬式でやりたい」中学生のニーズを掘り起こし、20年を迎えた。
卒団生は約250人。甲子園球児が13人生まれた。「運と努力と人とのつながりが必要だが、今は、甲子園出場は夢ではないと、自信を持って言える」
毎年、甲子園を目指し、一定数が県内外の強豪校に進学する。高校卒業後、故郷に戻り就職する子が多く「寮生活を経験し、親のありがたさや故郷の良さを感じるんだろう。『子どもを、ボーイズに入れます』と言う卒団生もいる」と笑う。
「勝ち負けにこだわり、秀でた選手を集め、全国大会を目指すチームもあるが、氷上ボーイズは勝利至上主義ではない。望んだ結果になってもならなくても、引退する時に『お父さん、お母さん、ありがとうございました』と言える人間を育てたい」
11期生は、真剣に練習しないなら帰れと叱ると、本当に帰るやんちゃな学年だった。「亡くなったコーチの家族から『翁田君が指名を受けた報告に来てくれ、線香を立ててくれた』と聞いた。そういうことができる人間を育てるのが、子どもを集めてやってきたことの値打ちだと思う」。68歳。