「もっと上達」技術磨く
年代別の全国大会「新日本スポーツ連盟全国卓球選手権大会」で2度(2013年、19年)、準優勝するなど、40歳を過ぎてから好成績を残すようになった遅咲きのアマチュア卓球選手。10代、20代の選手がしのぎを削る「一般の部」ではないものの、現役選手として大会に挑み続けている。
春日中、柏原高校卓球部。県大会に出場できたのは高2の総体1度だけ。「丹有止まり」の選手だった。転機は、愛知県内の大学への進学。愛知県は県卓球協会の一般の加盟者数が約3200人と日本一多く、社会人卓球が盛んな地域。下宿先の小牧市(人口15万人)にも当時、4つか5つ卓球場があり、足しげくまちの卓球場に通った。卒業し帰郷すると、全く歯が立たなかった相手に勝てた。「知らない間に力がついていた」。大学時代の 貯金 で、丹波市内ではほぼ負けなかったが、練習相手がおらず、30代の競技生活は細々としたものだった。
近隣市以外の大会に本格参戦した40代で同年代の強い練習仲間ができ、再び成長が始まった。現在は、明石市のチーム「Y O NROKU」に所属。チームにいる中高時代の県トップ級選手に「今は普通に勝てる」。「中学、高校時代に弱くて勝てなかったから、やり切った感、燃え尽きた感がなかった。今は20代、30代に負けても悔しい。パワーはかなわないが、技術で勝ちたい。上達の余地はある」
卓球好きが高じ、自身が社長を務める製材業、「おぎもく」のハウジングセンター(丹波市春日町野山)内の空き部屋を、常設の卓球場に改装中。年明けにもオープンさせる。「自分が一番楽しみにしています」とほほ笑んだ。50歳。