「男女共同参画」という言葉なくしたい 前宝塚市長の中川智子さん 市のアドバイザーに就任

2023.07.23
地域注目

男女共同参画アドバイザーに就任し、気さくに記者の質問に応じる中川さん=兵庫県丹波篠山市北新町で

兵庫県丹波篠山市男女共同参画アドバイザーに、前宝塚市長の中川智子さん(75)=同県宝塚市=が就任した。市民センター内にある「市男女共同参画センター」(愛称・フィフティ)の移転・開設時に記念講演を行ったことや、市民からの要望、酒井隆明市長からの要請を受けて就任。センターの運営から施策の企画・立案にも取り組む。「名前だけのアドバイザーなら受けない。積極的に関わりたい」という入れ込みようで、「もっと来やすく、『ちょっと愚痴を聞いてもらえて、それが地域を変えるきっかけにもなる』というようなセンターを目指す」と気合を入れる。委嘱状交付式での中川さんの話や記者とのやり取りをまとめた。

―丹波篠山とのつながりは

私の活動のスタートが学校給食や消費者運動で、実は丹南町(現・丹波篠山市丹南地区)の有機野菜や鶏肉などを食べていて、うちの食卓は「丹南町」だったほどの御恩がある。

市長時代には酒井市長と共に原発問題やLGBT(性的少数者)の問題、平和問題などに取り組み、何でも相談していた。

―就任のきっかけは

講演をした時、農家の友だちなどから、「丹波篠山はなかなか男女共同参画が進まないまち。力になってよ」という声を聞き、酒井市長からも話をもらったことがきっかけになった。

―どのような活動を

宝塚の北部も丹波篠山と似たような所で、「あそこにお嫁さんが来たらしい」「偉そうに口を利くらしいよ」「夜遊びしているらしいよ」といった話が出る雰囲気もまだ残っている。そんな宝塚で経験したことを、丹波篠山で生かしたい。

女性がもっともっと自分らしく、そして、おかしいことはおかしいと言える環境づくりを少しでも手伝うことができれば。まずは、まちを自由に歩いて情報収集する。それには、市民の声を聞くのが一番。いろんな人と話していきたい。

老若男女関係なく気軽に来られて、何かあったときには愚痴を言いに行ける場所にするため、とにかくセンターの存在を知ってもらうようにする。

―センターの印象は

少し場所が目立ち過ぎているとも思うので、もう少し人の目を気にせずに話ができる場所がいい。

宝塚も最初は市役所の中に置いていたけれど、商業ビルの中に移した。深刻な相談をしたい人は、誰も分からないような所じゃないとなかなか行けない。場所についても市長や職員の皆さんと考えていきたい。

―勤務体制は

私は月に1回くらい来て、ちょこちょこっと話して帰るという働き方はしたくないので、毎週1回は来たい。具体的にはこれから相談し、9月から本格的にスタートする。

―男女共同参画を意識したきっかけは

就職した時に女というだけで、給料や仕事の中身が違う、結婚したら仕事をやめるのが当たり前、などこれほどの差別を受けるのか、と目覚めた。

市長になった時、部長など20人の最高決議機関で、私だけが女性。「これはどうにかしないと」と、優秀な女性に昇進試験を勧め、人生設計の中で課長や部長になっていくことが当たり前になるように心を砕いてきた。

また、女性の私が楽しそうに市長をやることで、もっと政治が近くなれば良いと思ってきた。宝塚で活躍している女性たちに選挙への出馬を促した結果、市議の女性の割合が54%になり、日本でも上位に入った。

丹波篠山でも女性がもっと政治に関心を持ち、政治の話を当たり前にでき、「良い嫁」「良い妻」「良い母」という役割にとらわれない生き方を探ってほしいと思う。

―男女共同参画が実現した社会とはどんなものとイメージする

「男性」「女性」ではなく、「人」として評価される社会。男性も肩の荷が下りる社会。女性の良いところも、男性の良いところも互いに気づき、分かち合えるような社会になってほしいと思う。

―「男女共同参画」という言葉自体が垣根になっているとも思う

私もとっても引っかかる。LGBTという問題がこれほど社会問題化している中で、「男女」や「彼、彼女」というのもよくない。丹波篠山が男女共同参画という言葉を取っ払って、「こういうまちを目指して、こういう名前に変えていった」となれば、すごく注目されるはず。

私も船会社で組合運動をやっていた時に、「婦人部」というのがあったが、その時の目標を「この部をなくすこと」にして、最後はなくなった。

諦めずに後輩たちにつないでいけば、いつか男女共同参画という言葉もなくなっていくと思うし、それを目指していきたい。

なかがわ・ともこ 1947年、和歌山県那智勝浦町生まれ。24歳で結婚し、兵庫県に住む。子育ての傍ら、未就学児の保育施設を開設したほか、宝塚市学校給食を考える会を結成。阪神淡路大震災の3日後には災害ボランティア団体もつくった。96年、社民党の土井たか子氏から声がかかり、衆院選に出馬し当選。被曝者生活再建支援法、ハンセン病問題、補助犬法、被爆者救済などに取り組む。2009年から3期12年、宝塚市長。西日本初のLGBTパートナー証明の発行、就職氷河期時代の職員採用を全国で初めて実施し、大きな注目を浴びた。

関連記事