村をつなぐ吊り橋「広田橋」 9年前に架け替え 明治、大正時代は命がけで渡る

2024.07.05
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現在の広田橋。中ほどに立つと、爽やかな風が頬をなでる=兵庫県丹波市山南町で

当たり前にありすぎるけれど、住民が大切にしていきたいもの「世間遺産」―。丹波新聞では、兵庫県丹波地域の人や物、景色など、住民が思う”まちの世間遺産”を連載で紹介していきます。今回は、兵庫県丹波市山南町にある「広田橋」です。

架け替え前の広田橋で行われた「お別れ会」。80年以上、多くの人が往来した(2014年撮影)

篠山川に架かり、丹波市山南町阿草―下滝間をつなぐ吊り橋。下滝側には、「とめ地蔵」と呼ばれている地蔵が安置されている。橋からの転落を”とめる”ことを祈願して名付けられたと伝わっているという。

「山南町誌」によると、かつては道から10メートル下った所に吊り橋があったという。幅は「一人がやっと通れるくらい」とあり、「村人らは一本のワイヤロープにつかまりながら渡っていた」とある。「上久下村誌」にも同じような記述が見られ、明治、大正時代の橋は幅員80センチしかなく、手すりもない板橋で「危険甚だしく」とあり、橋を渡ることは危険と隣り合わせだったことを伝えている。

村人が命がけで渡っていた橋が架け替えられたのは1931年(昭和6)。この”先代”の橋は延長65メートル余り、幅員2メートルほどあった。

長く住民に愛されたが老朽化が進み、架け替えから80年以上たった2015年、現在の橋になった。前年には住民らが参加した「お別れ会」が催され、渡り納めをした。当時、丹波新聞社の取材を受けた地域の高齢者は、「幼い頃、橋の真ん中で、わざと橋を揺らして遊んだりした」「暑い日は、うちわを片手に橋の中央で夕涼みをした」と、それぞれの思い出を語っている。

毎週1回、渡っているという女性は、「前の橋は怖かったけれど、今の橋は渡りやすいですね」と話していた。

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