兵庫県篠山市野々垣の山口喜昭さん(65)が、大正時代に旧町村ごとに設置された同市内19カ所の「道路元標(どうろげんぴょう)」を現地調査し、現存しているかどうかや、移設された場合の経緯、形状などを冊子にまとめた。「後世に伝えるために保存を」と、旧町村ごとにある各まちづくり協議会に配布するとともに、現存していない道路元標の情報提供を求めている。
道路元標は、1919年の道路法で各市町村に1個ずつ設置され、道路の起終点や経過点にされた。
山口さんは昭和40年ごろに写真撮影していた日置の道路元標が移設されていることを知り、他の道路元標に関心を持った。5年ほど前に、篠山の歴史研究グループ「篠山文華学会」が調査している資料を参考に、今年5月から現地調査を始めた。現存のものは移設の有無や経緯、現存しないものは、その場所を探そうと聞き取りを行った。
形状については、篠山で確認された道路元標はいずれも約25角で、地上部の高さが約60。頂上部が平らな「墓石型」と、丸みのある「櫛型」に分けられる。石柱に「○○村(町)道路元標」と彫られている。
山口さんが調査したところ、雲部、福住、大芋、西紀(北河内村)、味間の5カ所では現存していなかった。現存しているものでも、行方不明になっていて最近、発見されたものもある。道路や建物の工事で移設されたものも多い。
facebookで道路元標の調査経緯を掲載。道路元標の情報提供を求めている。
山口さん(TEL090・2787・0780)。