沖縄、ハワイで布教
コザ真宗寺前住職 帰依 宗信 (きえ そうしん) さん (ハワイ在住)
旧名、 中野宗一。 1922年 (大正11年) 黒井村 (現春日町) 生まれ。 柏原高校、 旅順師範学校卒業。 同師範学校の専攻科に在学中、 学徒動員で召集された。 66年に米国籍に帰化し、 現在の名前に。 01年からハワイのホノルル郊外に在住。
海軍大尉として中国大陸で終戦を迎えた。 帰国後、 「死ぬ覚悟で軍隊に行って、 生きて帰ってきた。 今後は、 死ぬ覚悟で世の中の役に立とう」 と、 宗教界に入ることを決心。 1946年、 龍谷大学に入学して浄土真宗の道に。 ハワイ、 沖縄県コザ市 (現沖縄市) など、 本土を離れた地での布教活動に力を注いだ。
なかでもコザ市では、 69年から32年間を過ごした。 渡航当時、 浄土真宗は沖縄にほとんど根付いておらず、 県内第2の都市だったコザにも寺院はなかった。 この地に 「コザ真宗寺」 を創立。 土着の民間信仰が根強い風土のなか、 布教を始めた。
「はじめのうちは、 みんな無関心。 『相手にしない方がいい』 とまったく話を聞いてくれなかった」。 住民は、 精霊と交信するという 『ユタ』 と呼ばれる占い師を信仰し、 火事、 出産、 病気など、 なにか起こると占い師にうかがいをたてている。 「『ユタ』 もいいかもしれないが、 今の時代にはあわない」 と説いても、 耳を傾けてくれなかった。
「まずお寺に来てもらわないと」 と考え、 「日曜学校」 を企画。 寺で仏教の話をしたり、 オルガン演奏で歌ったり、 試行錯誤をくり返した。 その甲斐あって、 徐々に子どもが、 続いて大人も寺を訪れるようになった。 数年のうちに地域にとけ込み、 住民と酒をくみ交わす仲になれた。 「沖縄の人はよく飲む。 私が泡盛の小ビン一本飲む間に、 三本あけちゃう」 と、 ほほ笑む。
3年前に住職の座をゆずり、 家族のいるハワイに移った。 「最期は家族のもとで」 と考えたからだ。 長く離れていた丹波にも、 ここ2年は続けて里帰りしている。 普段は英語と日本語半々の生活をしているため、 方言が懐かしい。 「孫は、 『丹波』 なんて分かりません。 『ジャパン』 一くくりです」 と話し、 懐かしそうに民謡を口ずさんだ。
(古西広祐)