外は強い雨ながら久しぶりにゆったりした気分の日曜の午前

2006.12.27
丹波春秋

外は強い雨ながら久しぶりにゆったりした気分の日曜の午前、モーツァルトを聞きつつ新聞を読んでいると、「所得」という言葉が目に入った(2月26日号日経・文化面「漢字コトバ散策」)。▼筆者の中国古典学者、興膳宏氏によると、所得は「得た金銭収入」という狭義にとどまらず、元来は「得た所のもの」という漠然とした内容だった。古代詩歌「楚辞」の「其の土は人を爛(ただ)れさせ 水を求むるも得る所無し」の場合は「水」、また白居易が47歳の時詠んだ「浩歌行」の「顔回は短命にして伯夷は餓う 我の今得し所は亦(ま)た已(すで)に多し」は、「自分は十分長生きした」、つまり「年齢」を指す。▼さらに法華経方便品(ほうべんぼん)に「諸仏は得し所の法を無量の方便力もて、衆生の為に説く」とあるのは、「悟り得た真理」の意という。▼なるほど、白川静著「字通」で「得」をひくと、「得志」(志を達する)、「得心」(満足する)、「得道」(正道を得る)などの言葉が登場し、所得と逆さまの「得所」は「適所を得る」とあった。これらもまさに「所得」とつながるだろう。▼「女の心でも何でも、金で買えない物はない」とうそぶき、やがて破たんした若者もいたが、やはり世には「金には絶対変えられない所得」もある。所得税の確定申告シーズンに、改めて知らされた次第。(E)

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