「沖縄の8ミリ映画上映会―市民が映した沖縄の戦後史」が1日、兵庫県丹波市の丹波新聞社で行われた。参加者16人が、沖縄の映画監督が紹介する1950年代ごろから日本復帰前後の映像を興味深く視聴し、沖縄社会や文化について理解を深めるとともに、家庭に眠る8ミリ映像を発掘し公共の財産にすることの意義に触れた。
市民が撮った8ミリ映画を歴史資料として後世に残す活動に取り組んでいる、「沖縄アーカイブ研究所」運営者で、映画監督の真喜屋力さん(那覇市)が、収集した1950年代から80年ごろの映像を紹介。
普段市民が入れない基地内の米軍病院で1950年代に開かれた開院記念イベントを撮った映像に偶然映りこんだ、セーラー服に下駄、という当時の女子高生の出で立ちを見つけ、結婚式の宴席でウイスキーを傾ける男性たちの映像から、「日本に復帰する前は税金が安かったのでウイスキーが一般的で、泡盛より好まれた」などと当時の沖縄社会、文化を読み取った。
1歳男児の誕生日に、筆、紙幣、そろばんなどを子の目の前に置き、子が何を選ぶかで子が将来進む道を占う「タンカーユーエイ」など、沖縄独特の風習の映像などもあった。
1972年5月15日の「復帰記念式典」の映像では、大雨や、機動隊ともみあうデモ隊のようすなどが紹介され、真喜屋さんは「テレビなどは式典会場の中しか撮影しておらず、会場の外のようすは記録していない。会場の中に入れない一般市民だから撮影ができた貴重な映像資料」などと解説。市井の人が撮影した映像を集める価値を説いた。
「思わぬ物が偶然写り込んでいたり、電柱の張り紙やポスターなどから当時の世相を知れたりするのが8ミリのおもしろいところ。丹波地域の家々でもたくさん眠っているだろう。誰かが掘り起こす作業をすると、きっとおもしろい」などと締めくくった。