加古川を黒田庄から高砂の河口まで、昔ながらの高瀬舟で3日かけて下るという東播磨県民局のイベントに、上流の丹波から、山南町の地域おこしグループが地元産のアイガモ米の俵を乗せて参加。時々浅瀬に乗り上げながら、のんびりいくのを土手から眺めた。▼明治になって鉄道が開通するまで、同川の舟運は丹波地方にとっては最重要の交通手段だった。水分れ公園(氷上町)の資料館には、長さ6?の舟の現物が展示されている。これで15石(37.5俵=2.25?)の米が運べた。▼巨大な岩が水路を阻む闘龍灘(滝野町)で一旦積み替えなければならないが、その先は倍の「30石舟」になった。河口から上ってくる時は帆を上げて海風の助けで進み、浅瀬では人夫が河原から麻縄で引っ張ったという。▼上流からの米や薪炭、木材に対して下流からは塩、干鰯などが運ばれた。柏原(新井村)の上山家が八幡神社に寄進した石工丹波佐吉の名作、狛犬も、大阪の工房から海路を高砂まで運ばれ、同川を上った。▼県は山の間伐や里山整備の費用に当てるため、来年度から「みどり税」を均等割で徴収することになり、下流から上流への注目が集まっている。そんな折、高瀬舟から、石をも動かした川の力と人間の智恵、かつての沿岸のにぎわいに思いをはせるのも一興である。(E)