虚実皮膜

2019.08.04
丹波春秋未―コラム

 人形浄瑠璃の作者だった近松門左衛門も井原西鶴も、柏原に伝わる「おさん・茂兵衛」の悲恋を題材に作品を書いた。同じ事件を扱いながら、それぞれの筋立ては大きく異なっている。劇作家の田中澄江氏は、「おそらく西鶴の書いたほうが、事実に近いのではないか」とする。

 「(近松は)二人の哀れをそそらせるために、以春や助右衛門などの悪役をつくりあげたのではないだろうか」。悲しみを浮き彫りにし、見る人を感動させるために悪役を登場させる仕掛けをほどこしたというわけだ。

 近松の創作態度を示す言葉がある。「芸というのは、実と虚の皮膜(ひまく)の間にある」。民衆が慰めを得る芸とは、単なる写実ではだめで、多少の加工が要る。しかし、加工があからさまでは嘘になる。事実と虚構との中間に芸術の真実がある、という意味。悪役を作り上げた近松の加工は、この「虚実皮膜」を実践したものと言える。

 丹波篠山の波多野氏と明智光秀との戦いで、人質に差し出された光秀の母親が波多野氏側によってはりつけにされ、殺されたという伝承がある。丹波篠山では、この伝承を生かしたPR作戦を展開しているが、どうも史実ではないようだ。
 しかし、史実でなかったとしても、いいではないか。虚実皮膜の物語としては、よく出来ているのだから。(Y)

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