兵庫県丹波市春日町にある国史跡黒井城跡が、来年の大河ドラマ「麒麟がくる」を控え、主人公明智光秀ゆかりの地として再び注目が集まっている。同教育委員会などは9月28日、黒井城や光秀の丹波攻略戦について最新の研究を踏まえて再評価を行おうと、フォーラム「黒井城を語る」を春日文化ホールで開いた。専門家ら5人による講演とパネルディスカッションがあり、会場をいっぱいに埋める約450人が参加した。
黒井城跡整備委員会委員長の北垣聰一郎さん、城郭談話会の山上雅弘さん、同会の福島克彦さん、丹波史懇話会の芦田岩男さん、龍谷大学教授の山本浩樹さんが登壇した。
石垣研究を専門とする北垣さんは、黒井城の石垣について、「安土城完成以降の時代の特徴をもつものが大部分だが、それより古い時代のものが一部混ざっている」などと解説した。
発掘調査などを手掛けてきた山上さんは、山頂の縄張りについて、「曲輪が縦に段々に並び、一気に本丸にたどり着けない構造。こうした特徴からみて、荻野氏の頃からあった曲輪を踏襲しながら、明智、豊臣期につくられた城だろう」などと話した。
福島さんは、黒井城下町にスポットを当て、16世紀後半以降につくられた地籍図を示しながら「東西に続く街道が並行しているのが特徴的。文献調査が十分でなく、城下町がいつできたかはまだ分かっていない」と話した。
山本さんは、「光秀の丹波経営」をテーマに、「丹波平定後は、福知山などに新しい城をつくった一方、国人領主や土豪らの城を破却する『城破』を行い、指出検地や石高に応じた軍役整備などを行った。その後の大規模戦争を勝ち抜くための伏線だったのでは」などと話した。
芦田さんは、光秀の丹波攻略戦について詳しく紹介。光秀が黒井城で荻野・赤井軍に敗れた第1次丹波攻略戦で、多紀郡八上城の波多野秀治が、なぜ突然、光秀側から寝返ったかについて、「秀治のきょうだいが嫁いでいた縁で、赤井とはもともと友好関係にあったが、今回は明智方になっていた。しかし、信長が小畠一族に多紀郡を与える御墨付きを出したという資料などがあり、こうした状況から波多野は疑心暗鬼になり、離反したのかもしれない」などと考察を述べた。パネルディスカッションではコーディネーターも務め、「『織豊期における天下統一過程を示す城』として、地元でも黒井城の保存、顕彰に努めてもらえたら」と締めくくった。