古書店で見つけた「回想の大西瀧治郎」(1989年光人社刊)という本を読んだ。著者の門司親徳氏は、日本の敗色が濃くなった昭和19年秋から翌春にかけ、フィリピン、台湾の前線で副官として大西中将に仕えた人。▼根っからの軍人でない、主計官が身近に見た大西の人となり、「神風特攻隊」創設にまで追い込まれた状況が、淡々と、客観的に描かれている。▼「戦後、立派な人に会うたびに、この人は大西長官と比べてどうだろう、責任を取って自決できる人だろうか、亡き部下のあとを追える人だろうか、と考えてきた」。誠に大西はたいていの部下を信服させる、懐の深い上官だったようだ。▼ただ、沖縄、本土決戦に備えて台湾の基地での彼の訓示については、違和感を否めない。「日本は決して負けない。今や神風特攻隊が国民全部を奮起させた。百万の敵が本土に来襲せば、全国民を戦力化し、三百、五百万の犠牲を覚悟してこれをせん滅せよ」。▼最後まで抗戦を唱えた大西が8月16日、「善く戦いたり深謝す」と割腹した際の遺書は冷静である。若者に「軽挙は慎め」と諭し、「諸子は国の宝なり。平和のために尽くせ」と呼びかけている。直前まで彼の頭はひとえに、「降伏すれば、特攻に送り出した部下たちに申し訳ない」という思いで占められていたのだろう。 (E)