14日に97歳で亡くなった、世界的に知られる霊長類学者の河合雅雄さんを偲び、兵庫県丹波篠山市の「篠山自然の会」会長で、同県立ささやまの森公園の初代会長などを歴任した樋口清一さん(84)が、思い出を振り返った。
自然との向き合い方「広く深く」
私は教職を定年後、兵庫県立人と自然の博物館(同県三田市)のミュージアムティーチャーを4年間務めた。その時の館長が河合さんだったが、その時はまだ、あいさつを交わす程度だった。
深い付き合いが始まったのは、2001年頃から。以前から県が丹波篠山市に森林公園(ささやまの森公園)をつくるという計画があった。同年10月、「ひとはく」を退職する直前、公園の運営協議会長の就任が決まっていた河合さんから「事務局長(のちに公園長)として公園の立ち上げに携わってほしい」と白羽の矢を立てられた。
その月、退職記念として夫婦で海外旅行を計画していたので戸惑ったが、河合さんからの依頼とあっては断りようがなく、旅行の飛行機の中で、公園の運営形式や事業内容を考え、帰国後、河合さんに何度も確認してもらいながら煮詰めていった経緯がある。
今でも公園の床の間に「森が学校」という軸が掛かっている。河合さんの揮毫だ。公園の運営理念をしたためてほしいと、お願いして書いてもらった。習字が苦手と言われていたが、習字の達者な奥さんの良子さんから添削を受けながら書き上げたとおっしゃっていた。河合さんから運営協議会長を引き継いでいる。改めてその言葉の意味をかみしめたい。
晩年、足の具合が悪くなり、つえを突かれていたが、頭は変わることなくさえわたり、好奇心も旺盛。「季節の草花を見に行きませんか」と誘うと、必ず「行く」と二つ返事だった。クリンソウの群生地を訪ねたり、去年の今頃には京都府綾部市のシャガの群生地へ出掛けたりしたのは良い思い出となった。
今年2月、自宅を訪ねた際、少し気掛かりな出来事があった。応接間でひとしきり世間話をし、帰ろうとした時、河合さんがおもむろに手を差し出し握手を求めてきた。長い付き合いの中で、これまでにこのようなことは一度もなかっただけに戸惑ったが、手を握った。あれ?と思った。最後の別れとなるような気がした。
そのことが気になって仕方がなかったので、それから毎月、何かと理由をつくって自宅を訪ねるようにしていた。3月に炊いたフキを持って訪ねた際には顔を合わせて手渡したが、4月の訪問では出会えなかった。
いつかこの日がやってくると覚悟はしていたが、残念だ。でも、良子さんの絶大な支えの中で学者人生を生き、最期を自宅で迎えられたことを幸せに思い、天寿を全うされたのだと感じている。河合さんと知り合えたことによって、自然との向き合い方が広く深くなった。世界的権威でありながら、偉そうぶる態度はみじんもなく、ユーモアを言い、とても気さくな方だった。思い出は尽きない。