江戸時代から信仰されてきたとみられる、兵庫県丹波市山南町の地蔵堂が倒木で全壊し、このほど、住民たちが片付けに追われた。前日に、お堂の南の民有林の斜面に立っていた松の大木が途中から折れ、お堂を直撃しているのに住民が気付いた。瓦礫の中から掘り起こした地蔵は首が折れ、いわれを記した扁額は破損。現場は、JR線路まで20メートルほどの場所。住民たちは、「西側に倒れていたら、鉄道事故になっていた。お地蔵さんが身代わりになってくれた」と手を合わせる一方で、先祖代々まつってきたお堂が突然壊れたことに困惑している。
地元の男性(63)が、洗濯物を干していた午前8時前に「メキメキ」というような異音を聞いた。午後4時ごろ、別の住民がお堂の屋根の異変に気付き、見に行くと、北に向かって倒れた松の下敷きになっていた。
「ふるさとわが町山南町の寺院・廃寺・地蔵尊」(2019年)によると、お堂は隣の柏原町へと続く街道筋にあり、奥野々坂を越える旅人の休憩所となっていた。明治32年に阪鶴鉄道が開通し、お堂の前を鉄道が横切るようになった。北向きの地蔵菩薩(高さ75センチ)、弘法大師、南無地蔵大菩薩の3体がまつられていた。
お堂の建立時期や信仰が始まった時期は定かではないが、回収した遺物から「文化三年丙寅十月吉日」などと、「文化」とある墨書が複数見つかった。文化年間は1804―1818年。幼くして命を落とした子を弔ったとみられる戒名が書かれた古い卒塔婆も多数出てきた。
住民が月当番で掃除して花を供え、毎年8月24日に地蔵盆を開いている。地蔵のよだれかけに願いを書き、合格祈願をしていた時代もあった。片付けをしながら住民たちは、「当番の人が参拝中でなくて良かった」「木が倒れたのは朝。線路側に倒れていたら大事故だった。地蔵さんが身代わりになってくれた」と、口々に話した。
同自治会の歴史に詳しい男性(88)は、「よその地蔵堂は小さいのに、奥野々は建屋が立派で、大事にまつってきた。お堂が壊れたのでまつるのをやめる、ということにはできない。どうすればいいのか」と肩を落とした。
松は枯れていたとみられる。